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今回は、ライドシェア規制や移民問題をもとに、リスクを理由にした政府の管理強化と個人の選択の自由について一緒に考えていければと思います。
先日、「白タクがトラックと衝突し乗客が死亡」という痛ましい事故がありました。
以前からこうした事故や犯罪リスクを理由にライドシェアの全面禁止を肯定する意見が根強くありますが、それは規制とは全く別の話です。
もちろん事故を防ぐ努力や対策が必要であることは説明するまでもありません。
もし同乗者の死亡事故がライドシェア規制を正当化する理由になるなら、同じ理由でタクシーもバスも電車も飛行機も規制しないと整合性が取れないですが、そんなことを言いかけたら私たちは何も出来なくなります。
リスクを理由に「特定の移動手段」を政府が禁止する行為は、「営業の自由」や「職業選択の自由」、またそれを利用する機会を奪うことによる「移動の自由」に対する著しい侵害に他ならないのです。
もちろんライドシェアの解禁が要因で急激に犯罪が増える事実は無いですが、一部の人が犯罪を犯したり、事故を起こしたりすることは当然あります。
しかし仮に危険だと思うなら利用しなければいいのであって、それを他人に強要する権利は誰にもありません。
この問題の論点はあくまでも、働く側にも利用者にも「ライドシェアという選択の自由があるかどうか」なのです。
極端な話をするなら危険だろうが安全だろうが、ライドシェアは「営業の自由」や「移動の自由」の観点から規制することは許されることではないのです。
さて、「国が認めていない人間は犯罪を起こすから規制すべきだ」という暴論は他にもあります。
それが「移民」です。
「移民」は
政府が「誰を入れるか」を決めるのか、各個人が「誰を迎えるか」を決めるのか
というのが論点です。
私は「誰もが自分の住む場所と人生を自由に選べる社会であるべき」という観点から、移民問題も「国家の管理」ではなく「個人の選択」を尊重すべきだと思います。
それはライドシェアを問題と同じで、国籍に関係なく誰にでも「営業の自由」や「居住の自由」、「移動の自由」は保証されるべきだからです。
もしこの尊い「自由」を否定し、ごく一部の犯罪者を理由に「政府が全てを管理し規制すべき」というのであれば、ライドシェア規制にも同様に賛成すべきではないでしょうか。
あらゆるリスクに対し「政府による管理」を求めないと一貫性に欠けると私は思います。
ライドシェア規制の問題は「強制か、自由か」の問題です。
同じように移民問題も「強制か、自由か」の問題でしかなく、犯罪や治安は全く別の話です。
ここが整理して語られていない点について、非常に懸念を感じます。
「移民」と聞くと、漠然とした不安を感じる感情は私にも理解はできます。
しかし自由とは「誰もが自分や他人の選択を邪魔したり奪ったりしないこと」です。
それを忘れて「政府権力によって一律に管理してもらう道」を選んだとき、私たちの自由はその手から消えていくことになるでしょう。
そうならないためにも、私たちは自由についてもっと向き合って考えるべきだと思います。
元記事のnoteはこちらです。
【強制か、自由か――ライドシェア規制と移民問題の共通点 2025年10月25日 】
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note「減税新聞」
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