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安保闘争と学生運動──若者たちが問いかけた民主主義
黒い波が国会を包囲する
1960年、日本の国会を取り囲む人々の波。労働者、主婦、学生──延べ数百万の国民が参加した安保闘争は、戦後民主主義の「試練」と呼ばれる出来事だった。
背景にあったのは、日米安全保障条約の改定。岸信介内閣は、アメリカ軍が日本防衛の義務を負うように条約を修正し、日本の独立性を高めたと主張した。しかし人々の目には「アメリカ追従の固定化」と映り、戦争への不安が再燃した。
若者たちの怒り
この時代、大学には戦後のベビーブーム世代=団塊の世代が流れ込み、学園は熱気に包まれていた。学生たちは「民主主義は守られているのか?」と声を上げ、デモの先頭に立った。
その象徴が、東大の女子学生・樺美智子の死である。国会前で機動隊に押し倒され、彼女は命を落とした。若者にとって衝撃の出来事であり、岸内閣は総辞職へと追い込まれる。
ユリウスの目に映った光景
ユリウス(仮名)は当時まだ十代だったが、新聞やラジオで毎日のように流れる「国会デモ」の報道に胸を熱くした。
「大人たちが国家に向かって声を上げている──これこそ民主主義ではないか」
その光景は、戦後生まれの彼にとって「政治とは他人事ではない」と気づかせる原体験になった。
高度経済成長の光と影──豊かさの代償
所得倍増と“夢の時代”
1960年代、池田勇人首相は「国民所得倍増計画」を掲げた。新幹線が開通し、カラーテレビや洗濯機、冷蔵庫が“三種の神器”として普及。
国民は豊かさを実感し、敗戦の記憶を上書きするように「成長」へと突き進んだ。
公害と格差
しかし繁栄の裏には影があった。四日市ぜんそく、水俣病、新潟水俣病──産業発展の犠牲として公害病が全国で発生。農村と都市の格差も広がり、地方の若者は「集団就職」で都会へ流れていった。
ユリウスの問い
ユリウスは社会人となり、豊かさを肌で感じる一方で、地方の疲弊や公害の現実を目の当たりにした。
「豊かになることは、本当に幸せなのか?」
戦後日本が追い求めた「経済大国」という夢は、次第に国民の生活と矛盾を抱え込み始めたのである。
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